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教育問題


こういうことを書くとあれだけれど。、れはあれとして考えるとして、そこのところをなにするとそうなるんじゃないのかと思ったりしながらこうすることにします。回りくどくなりましたが、写真は近所の電飾です。

話は飛びますが、子供と話をしながら、自分の過去を思い出していろいろと比較すると、なかなかに興味深い発見があります。ちびっ子が「パパの子供のときは」といろいろ質問するので、否応なしに彼の現在と対応する比較すべき記憶をちょろちょろ引っ張り出すんだけれど、意外と子供の頃の「感じ」や「気分」も覚えているものなんですね。ていうか、子供の頃の記憶で今でも思い出せる類のシーンは、当時それなりに日常的な刺激よりも感ずるところが多かったエピソードだったから覚えているのかもしれません。で、小学校3年生の時のことを思い出したんですが、それは担任の先生のこと。2年生のときの担任がおばあちゃんの先生だったこともあり、3年生のときの担任の先生が新人の若い先生だったことは、それだけで肯定的というか、なかなかにインパクトのある出来事でした。その後、普遍的なテーマなんだと思うけれど、ちょっと先生にあこがれるような気持ちを抱くようになりました。ある日学校で(多分ふざけ過ぎていたんだと思うけれど)足首をねんざすることがあり、保健室へ行きました。その日は保健室の先生がいなかったのか、午後だから帰っていたのか、とにかく担任の先生と一緒に保健室に入りました。それで、先生が足首にクリームを塗ってくれていたんだけれど、おいらは先生と2人っきりなのに舞い上がってしまい、真っ赤な顔をして椅子に座っていたようです。そうしたら、先生が「あれ、小野君顔が赤いわね、熱もあるんじゃない?」と、額に手を当てたりするもんだから、ますます赤くなったようです。普段はどちらかというとやんちゃな子供だった少年が、やけにおとなしくしているので、先生も心配してくれていたんだと思いますが、まあ、そういうのは時を隔てて分析できる事柄で、そのときの自分は「何で顔が赤くなるんだ」と、必死に赤くなるのをこらえていたのを覚えています。

4年生から6年生までは担任が男の先生で、しかもかなり厳しいタイプの先生だったため、3年生の担任の先生とロマンスに発展するようなことはなかったんだけれど、この先生とは6年生のときの生活科で再会する事になりました。ある日この先生が「このクラスには何年も前から知っている子もいるけれど、前はいい子だったのに、今はちょっと生意気な子になっているのが少し残念です」なんていうもんだから、おいらは自分のことだと思い、ちょっとショックを受けた覚えもあります。何気ないことだけれど、こういうことは割りとよく覚えているみたいです。

自分で書くのもなんだけれど、小学校の頃のおいらは、ずいぶんと青かったなあと思います。青いというのは未熟だからで、要するにまだ思考回路や物事の判断基準があやふやな状態、発展途上にあるんですね。そう思うと、自分の子供が「理にかなわない事」を言ったりしたりするのも致し方ないと思います。やっぱり何事にも分別が付くようになるのは、まだまだ先の話だからね。我が家のママなんかは、子供たちに既に「分別」を要求するんだけれど、パパ的にはそれはまだ難しいと思います。これは経験上の価値判断なんだけれど、そういうことを言うと今度はママがパパに怒るので、パパはあまりママが子供に怒っているときには口出ししないようにしています。同じ屋根の下でもこれだけいろいろとあるわけだから、教育問題を国の単位とかで考えるのは至難の業だと思います。おいらなんか、教育で口出しするのは、青と黒のチームを応援することや、Avrilの曲を聞かせることぐらいだもんね。


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2007年12月17日 15:32に投稿されたエントリーのページです。

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